気付けば、K指定の店に到着していた。約束の時間より5分早い。久しぶりのKとの再会、僕たちは少しだけ緊張していた。それはある既視感によるものなのだが…高級そうな店の佇まいが僕たちの緊張に拍車をかける。
陽光降り注ぐテラス席からワイングラス片手に手を振るKが視界に入った。緊急事態宣言などはるか昔の出来事と思わせる穏やかな光景だ。しかし、僕たちはいつにもまして、警戒する。何かがおかしい。そうだ、いつも待たされる僕たちをKが出迎えるなんて。こんなことは初めてだ。そんな僕らの戸惑う様を見て、Kがニヤリとした。辞書に「意味ありげな様子で笑いの表情を作るさま」と形容されているが、Kの口元は、正確にその「さま」を表現していた。
あるいは、僕たちがニヤリと見えたのは「悪巧みを考えている事を隠そうとするあまり、笑ってしまいそうな口元を必死に制御するさま」だったのかもしれない。
いや、むしろ、そうだったのだ。それに気づかず、いや、気付いていたはずなのに、K持ち込みのワインの誘惑に抗えず・・僕たちは、いつものようにKの無茶ぶりに振り回されることになる。
Kは「金田一少年の事件簿」などを手掛ける作家だ。7つのペンネームを持ち、ややこしいので、僕たちは本名のイニシャルで“K”と呼ぶことにしている。最近は「神の雫」のヒットもあり、ボジョレワイン騎士団から「騎士号」の称号を贈られるなど、ワイン通として知られている。
「どうする?」
お店の入口で思案している僕たちの耳にテラス席からKの声が届く。
「どうする?とは何をだ?」
と聞き返しながら静かに後ずさる。危険を察知したサバンナの草食動物にように。
Kが目線で誰かに合図を送る。
身構える僕たちの前を、ワイングラスを持ったウエィターが通り過ぎ、Kの向かい、つまり僕たちの席にセットした。そして、高そうなワインをグラスに注ぐ。
優雅に手招きするK。
いつもとかわらず、長髪を後ろに束ね、サングラスにボルサリーノハット姿だ。
いつものことだが、なんだ、このゴッドファーザー感は。。
そして、逃げられないと悟り、諦めて席についた僕たちは、いつものように、おいしくワインを頂くことになる。
3本目のワインボトルが空いたころだ。
それまで、ワインの蘊蓄と山Pの話と最新科学と最新医学と果ては宇宙の起源について、脈絡もなく、そして、止めどなくしゃべり続けたKが改めて聞いてきた。
「で、どうする?」
「次はブルゴーニュとかで重めの…」
僕たちの言葉を遮り、Kがさらに聞く。
「YESかNOか」
Kの眼は、ワイン色の血液が行き渡ったがごとく、多少充血はしていたが、その滑舌は、3時間前とかわらない。また、脈絡もなく唐突な物言いもいつも通りだ。
「どうする?」
いよいよ、来たか・・
「YES or NO?」
Kが迫る。
僕たちは、ワインをご馳走になるために、この場に呼ばれた訳でないことを知っている。そして、慎重に言葉を選ばなければ、とんでもないことになることも、過去の経験から痛いほど理解している。
そして、熟考に熟考を重ねた結果、「言っている意味がよく解らないのだが…」と率直な疑問を口にしてみた。
ニヤリ。その言葉がトリガーになり、Kの口元が「悪巧みを考えている事を隠そうとするあまり、笑ってしまいそうな口元を必死に制御するさま」に変化した。
どうやら、率直な疑問は、この場合「口にすべきではない」ことを僕たちは新たに学ぶ。
「文字を読めば意味がよくわかるのか?」
「そうとは限らないが」
「お前らが解らないと見越して文字に起こしてきた」
わからないのは、わかるように説明してないからだろ!と口にしたところで無駄なことを知っている僕たちは「なんとも準備がいいな」と溜息混じりにつぶやくしかなかった。
Kが取り出した紙に書かれた文字。明らかに名前を意味する文字は・・
「家康」とあった。
「どうする?・・・」
そしてKのニヤリ。僕たちは悟った。
そうか、僕たちに言わせたいのか、
“どうする家康”と。
こういうくだらないことを真剣に取り組むのがKなのだ。
そういうところは、嫌いじゃない。
だが、何のために?
それが問題なのだ。そう、いつもここからが大変なのだ。
「YES or NO?」再びKが問う。
“どうする家康、YESかNOか”と聞かれているのか?わからない。何が言いたいのかわからないから、むやみに答えるわけにはいかない。
しかし、ここで答えなければ、永遠と“YESorNO”と問いただされる、に違いない。NOと言った方が、拒否する意思が示せるが、Kのことだ。その裏をかいてくるに違いない。では、更にその裏をかいて。。。
無駄だ。多分、結果は同じだ。
諦念に至った僕たちを見てKが満足げに微笑む。そして、おもむろに家康と書かれた紙を裏返すと、そこには、
「の秘密を知りたい」
「の秘密を探るのは僕たちだ」
などの言葉が書き連ねられていた。
つまり、YESと答えたら、家康の秘密を探る羽目になる。
では、NOと答えたら
「の秘密を知りたいのに、NOと答えたとき、それはYESの意味だ」とYESになり、やはり、家康の秘密を探る羽目になる。
つまり、結果は同じ。ある意味、僕たちは正解しているのだが、そこに達成感などあるはずもない。
「これは契約書ともいう」
ようするに、
“どうする?家康の秘密を知りたいか?YESかNOか?まあ、どちらを答えても、秘密を探ってもらうことになるけど。この紙はそういう契約書だ”と言いたいわけだ。
Kはうなずく。そして聞く。
「どうする?」
そして、Kが熱く語りだした。
とある歴史書には、家康は鬼の邪気が入り込まぬよう、”江戸に鬼除けの矢を刻んだ“と記されている。
そして、とある地から、“破魔の弓矢”の文字と暗号が散りばめられた、三冊の書物が発掘された。
家康はどのようにして江戸の町に矢を刻んだのか、その背後には、いったいどんな思惑があったのか?この三冊の書物を紐解けば、明らかになるかもしれない!
Kの好奇心は、大学時代から突出していた。そして、その溢れ出す好奇心が結実したのが、作家になる前、編集者時代に発表された「マガジンミステリー調査班(通称:MMR)」である。事実を元にした(?)ルポタージュ風フィクション漫画とでもいえばいいのか。実在の少年マガジンの編集者らが超常現象やノストラダムスの大予言の謎を解いていく、そんな荒唐無稽なお話しだった。
その作中で、Kは隊長と呼ばれていた。
まさか、令和の時代に、MMRの隊員のごとく、家康が江戸時代に残した謎を解きあかせ、と言うのか?
それを明かにしないと、人類は滅亡するというのか?
そして、そのK隊長の飛躍したお約束の結論を耳にして、僕たちはお約束で「な、なんだってー!?」と叫ばなければならないのか!
いや、流石にそれはない。そんな昭和のノリで盛り上がれるほど、Kも僕たちも若くはないのだ。
Kといえば、ドラマ化された多くがミステリー作品だった為、ミステリー作家の印象がつよいが、謎を作る人間が、必ずしも、謎解きのプロだとは限らない。
だから、時々、僕たちが駆り出される
ここで、ふと嫌な何かが脳裏をよぎった。
そう、今日僕たちがKに呼び出されたときに覚えた、あの既視感だ。
Kに呼び出されて、謎を解くはめになった、過去の記憶が鮮明によみがえる。
2014年、行方不明になったKを探して、瀬戸内の島々を巡る羽目になったことを。
2017年、Kから古文書を渡され、高知城の謎を解かされる羽目になったことを。
僕たちが行方不明のKを追ったり、古文書と向き合ったりして、解き明かした謎を元に、Kが謎解きゲームとして仕上げるという、Kにしたたかに利用された過去の記憶がよみがえったのだ。
やれやれ。
そういうことか。回りくどいが、また謎解きゲームの案件がKのもとにきたわけだ。
それを手伝えと。
おそらく実態はこんなところだ。
それには答えずKが伝票の裏に何かメモを書く。と同時に、立ち上がった。そして、振り返ることなく、その後ろ姿は、夕闇に消えてしまった。
その後ろ姿に向かってつぶやく。
気にするな、僕たちが払っておくよ。
そして、恐る恐る色んな意味で怖い伝票を取り上げる。
ワインはKの持ち込みだから、さほどの支払ではない。ほっと胸を撫でおろす。
問題は、裏面だ。
10月25日10時 千代田区観光協会集合
と書かれていた。
明日!?
やはりな。
Kが僕たちに何かを頼むのに、こんなに丁寧(とういうべきか解らないが、すくなくとも、今までの無茶ぶりより丁寧)なことはなかった。
Kにも、一般的な意味で申し訳ないという気持ちがあったということか。
僕たちは、少しだけ前向きな気持ちになり、明日の事は考えないようにしながらも、明日に備えて帰路に就くことにした。
<これは、事実に基づかないノンフィクションです>